昭和十八年頃、父は山頂に皇居遥拝所と彫った石塔を建てたいと思い始めた。
その頃たまたま山に登って来られた新潟大学の教授にその話しをして、皇居の方向を調べていただき、その話しを当時の田上小学校長にしたところ校長が「では、その石を地車にのせて高等科の男子生徒に運ばせてやるね」と言ってくださり、下で磨いたその石を生徒達が、
何と頂上まで運んでくれた。
その話しを又、当時の田上助役の白山さんに話したところ、助役さんは長岡から来ていた人で、(往年長岡中学の先生をして居られた。)「そういうのであれば、私が山本元帥に頼んで、その字を書いてもらってやる。」と言って下さった。
その助役さんは山本五十六元帥が長岡中学在学当時の先生であったという。
喜んだ父は、その字の届くのを毎日毎日待ち続けたが、だんだん戦争が激しくなり、やがて敗戦。
残念なのは山本五十六元帥が戦死されてしまったこと。
遂にこの計画も望みも立ち切れてしまったのである。
・ 『越後七不思議の一つ「つなぎがや」』
今から約七百九十五年前、当時の護摩堂城主宮崎田嶋守玉光の頃、親鸞上人がこの地を訪れ登城の折、城主は火で炒ったかやの実茶菓子としてもてなした。
このかやの実は当時の農民が凶作に苦しみ、年貢米の代わりとして城主に納めたもので親鸞上人はこの話しにいたく心をいためられ、「この実は数珠に繋いで、火で炒った実ではあるけれども、私が農民の苦しみを救いたい一心の願いを込めて、芽をふき実がみのるように蒔く、もしもこの祈りが御仏に叶えられるならば、来年芽を出してくれ。」と祈った。
不思議にも翌年このかやの実は芽吹き大きくなる。
何時の頃か、この木は現在の了玄寺の境内に移植され、現在なおこの老木は数珠に繋いだ針あとを残した実が成り、お手返しの葉が芽吹いている。
(田上町 中店在住)
昔の湯田上温泉の記憶を辿ってみる。
昔は、といっても私が生をうけて七十五年しかたっていないが、ここには旅館(旅篭といった)と料理屋という二種類に別れて営業をしていた。
旅館は客を泊めたり日帰り客を扱っていたし、料理屋は泊めることはできなかった。
湯田上、昔は湯小屋(ゆごや)という名で親しまれていたが、そのメインストリートの上から旅館名を挙げていくと。
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1 湯元館 |
(かみゆい 須佐) |
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2 川口屋三次郎 |
(中野) |
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3 吉野屋 |
(新造 中野ヨシ) |
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4 本間権四郎 |
(本間) |
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5 糀 屋 |
(米倉芳雄) |
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6 中野屋粂七 |
(中野) |
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7 松屋久次郎 |
(川口) |
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8 石田屋 |
(長谷川久造) |
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9 大黒屋 |
(小出) |
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10 金山 |
(渡辺) |
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11 小柳屋 |
(小柳為治 ホテル小柳) |
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12 糀屋支店 |
(細井末造 末廣館) |
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13 坂井館 |
(おはく 坂井又治) |
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14 双葉旅館 |
(中野トヨ) 昭和三十六年火災で焼失 |
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15 若竹 |
(塚野 わか竹) |
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16 丸栄 |
(井上トメ) |
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17 よし本 |
(小出幸子) |
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18 生山荘 |
(中野キチ) |
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19 かつみ荘 |
(細井カホル) |
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20 初音 |
(乾 初子) |
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21 吉住 |
(小出 ) |
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22 清水屋 |
(中野タセ) |
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23 並木屋 |
(川口一雄) |
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24 中本屋 |
僕が生まれてから今日までこれだけの旅館と料理屋があった、これが七十五年のあいだにいろいろ変遷して現在は五軒の旅館になっている。
かなりの激変である。
この変化は日本の戦争から敗戦をへて高度成長という時代のうつり変わりであったとも言える。
昔の湯小屋は、湯治場として栄えた。 近郷近在から主に農家の人達が自炊したりして共同浴場へ湯治に来ていた。
芸者は昔からいて、子供の頃よく芸者迎えというものをやらされた。
芸者をあげる客は主に料理屋を使った。 小柳屋 並木屋 丸栄など そこは芸者をかかえており、従って客が来るとすぐ部屋に出ることができた。
現在のような置屋というものは無く、主に料理屋でニ・三人の芸妓を抱え、芸などを教えていたようだ。
芸者を呼ぶ客は旅館にも上がった。
僕は吉野屋に生まれ育ったから、よく芸者屋へ芸者呼びにやらされた。
電話がないから、いちいち人が行って伝えるしかない。 なんといって行くかというと
「何々さん、線香ですよ。」
それを受けた女将は芸妓に伝え、支度ができると芸妓はのこのこ旅館に出向いたのである。
勿論ハイヤーなどないし、その必要もなかった。 湯小屋の湯元館から小柳屋近辺だから、これでこと足りたのである。
しかし、夜になると街灯などないから小さい子供にとっては、イヤな使いであった。
「何々さん、線香ですよ。」とはどうゆうことか、線香とは変なことをいうものだと思っていた。
母に聞いた覚えがあるが、芸者の時間をはかるのに線香を一本立てる、それがともると一本という。
今は湯田上では、一時間を四本といっている、つまり十五分が一本ということ。
線香一本がともる時間はもっと長いような気がするが、そうしたところから芸者の時間の呼称がきているらしい。
芸者を置いたところは、小柳屋、並木屋、丸栄、中本屋、清水屋など、芸者専門も一・ニ人いたような気がする。
( 末廣館 会長 )